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観のレビュー
総合
結論
ボクはヤンキーが嫌いだ。更生美談は欺瞞だとも思っている。
それでも『ラブ上等』は「動物園」だ。異なる生態系を観察する、安全でかつ刺激的なエンターテインメント。
コンプライアンスに縛られた退屈な世界に、彼らの粗野で直情的なエネルギーが刺さる。
良かった
引っかかった
いきなりだが、ボクはヤンキーが嫌いだ。
彼らは、他人の権利を侵害し、恐怖を与え、搾取することで自らのアイデンティティを肥大化させてきた人間だ。
世間はよく「昔はやんちゃだったが、今は立派な社長だ」といった更生美談を好む。だが、ハッキリ言おう。それは欺瞞だ。
マイナス100まで落ちた人間が、ようやくゼロに戻っただけで「プラス100」のような顔をして賞賛される。
その陰で、彼らに傷つけられ、奪われた人々のマイナスは誰が補填するのか?
誰も補填などしていない。被害者は泣き寝入りだ。自分の罪の清算も済んでいないのに、ゼロに戻っただけで英雄気取りなど、ちゃんちゃらおかしい。
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真面目に、誠実に、誰かを傷つけるまいと欲望を律し、コツコツとプラスを積み上げてきた「普通の人々」。
彼らこそが、圧倒的に偉い。尊い。
その当たり前の道徳的優位性が、安っぽいヤンキー美学によって、ないがしろにされる風潮こそが、ボクは反吐が出るほど嫌いなのだ。
しかし、だ。
『ラブ上等』というコンテンツについて語るならば、話は少し変わってくる。
あれは、いうなれば「動物園」みたいなものだ。
檻の中にいる、自分たちとは全く異なる生態系を持つ「ヤンキー」という生き物を観察する、極めて安全で、かつ刺激的なエンターテインメントだった。
MEGUMIは言った。
彼らは「感情に真っ直ぐ」であり、悪く言えば「本能のままに生きるサル」だと。
確かにその通りだ。
そして、だからこそ強烈に面白い。そして学びがある。
今の世の中を見渡してほしい。
コンプライアンス、ガバナンス、ポリティカル・コレクトネス。
ボクらは何重もの見えない鎖に縛られ、言葉を選び、空気を読み、顔色を窺いながら生きている。
「炎上」を恐れ、「ハラスメント」に怯え、縮こまっている。
清潔で、礼儀正しく、合理的で……そして恐ろしく退屈な世界。
そこに現れる彼らの、あまりにも粗野で、直情的で、後先を考えないエネルギー。
それは現代社会が去勢してしまった「Maverick(異端児)」であり「Savage(野生)」そのものだ。
彼らには「空気を読む」という機能が実装されていない。だからこそ、予定調和をぶち壊すことができる。
イノベーションや変革に必要なのは、往々にしてこういった「反骨精神」や「突破力」であることも事実だ。
理屈やルールでがんじがらめの「お利口な」思考からは、破壊的な創造は生まれない。
スティーブ・ジョブズも、イーロン・マスクも、ある意味では社会不適合なヤンキーマインドを持っていたはずだ。
ボクらは、『ラブ上等』を見て笑い、呆れ、見下しているようでいて、その実、どこかで絶望的なほどの「羨望」を抱いているのかもしれない。
自分たちが社会適応のために切り捨ててしまった野生を、彼らに仮託して楽しんでいるのだ。
安全な檻の外から、猛獣の咆哮を聞いて興奮するように。
もちろん、学ぶべき点はたくさんある。
あの迷いのなさ。
欲しいものを欲しいと叫ぶ欲望の強さ。
仲間となら地獄まで付き合うという、過剰なまでの連帯感。
それは間違いなく、今のスマートすぎるボクらに欠けている「熱」だ。
だからといって、彼らと友達になりたいわけではない。
ボクはヤンキーがやっぱり嫌いだ。
けれど、「檻の外から眺める」分には、これほど示唆に富んだ教科書もない。
ボクらは、スマートな理性の皮を被ったまま、心の中に「飼い慣らせない野獣」を、せめて一匹くらいは飼っておくべきなのだろう。
いつか、この退屈な檻を自分自身でぶち破る日のために。
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